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2012年傑作ノンフィクション★ベスト10

20121208




2012年11月末までに読んだ本(2011~12年刊行)のなかで、傑作ノンフィクションを選んでみた。今年の特徴は、おびただしい2011.3.11関連本である。

渡辺 一史▼北の無人駅から
「怪物だも、あの人。だから、逆らう人いねかったんだ。なんちゅうかな。腰くらいの高さの出窓だらボンボンはねて歩くんだ。松葉杖ついて窓からはねて出てくるわけさ。オレのここぐらいあんでないか、腕」
そういって福沢さんは自分の太ももを指さした。


渡辺 一史『北の無人駅から』(2011)は、ノンフィクションの傑作『こんな夜更けにバナナかよ――筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(2003)の著者による第2作である。
全国をくまなく歩き古老たちの地域と生活を綴った宮本常一『忘れられた日本人』(1960)という古典的名著がある。本書の第1章「『駅の秘境』と人は呼ぶ」を読みながら、これは北海道版「忘れられた日本人」ではないかと思った。
「無人駅をテーマにしながらも、私は人を求めて旅をしていた」(あとがき)という”忘れられた日本人”の記録である。本書に登場する魅力的な人々は、やがて平成版“忘れられた日本人”として、多くの読者の記憶に残るであろう。

大野更紗▼困ってるひと
まず、明日生存できるかどうかのレベルの問題なのだ。
お嫁どうだこうだの前に、わたしが死なないかどうかを心配してほしい


大野更紗『困ってるひと』(2011)は、みずから名づけて“難病女子”。日本ではほとんど例のない稀な難病。病名は筋膜炎脂肪織炎症候群。皮膚筋炎という難病も併発。
「この本は、いわゆる『闘病記』ではない」と著者は断っているが、病いとの闘いであり、生活との闘いであり、生きることの闘いの記録である。それを絶望の底から湧き出るユーモアで軽妙にブログ的文体を駆使して綴る。
ふだん漫画中心の中学女子の孫が夢中で読んでいた。ただただ元気な続編を期待する。

高田昌幸▼真実――新聞が警察に跪いた日
会社側は「泳がせ捜査」に関する情報開示請求を道警に対して行いましたよね? そして道警からは「泳がせ捜査」に関する書類は不存在だと連絡がありましたよね? 
だから泳がせ捜査はなかったと言うんですか?
 


北海道警察の裏金流用事件や覚せい剤泳がせ捜査事件など2000年代の一連の“腐敗”は元幹部、元警部の告発本や佐々木譲の小説でおなじみだが、高田昌幸『真実――新聞が警察に跪いた日』(2012)は、北海道新聞元記者によって同テーマを道新内部から描いたもの。
懲戒処分にするが悪いようにはしないという上司、社内の会議の模様を道警に筒抜けにする記者、新聞協会賞返上を言い出す者、取材拒否など道警の嫌がらせに降伏する記者。
マスメディアの劣化、ジャーナリズムを放棄した道新、というなかれ。大手新聞も民間企業となんら変わるところはない。

高山文彦▼どん底――部落差別自作自演事件
それにしても、裏切られた人たちがいくら裏切られたと恨みを述べてみたところで、傷ついた心は癒えようはずもない。
彼らは怒っているというより、悲しんでいるのだった。〔…〕
彼らのこのような心情を、山岡は想像もできないだろう。それがこの男の最大の罪なのだ。


高山文彦『どん底――部落差別自作自演事件』(2012)は、副題に「自作自演」とあり、最初から犯人は明かされている。犯人が特定されるプロセスが倒叙法によって記述された“事件”である。
本書は、福岡県で起こった「連続差別ハガキ事件」を扱ったもの。被差別部落出身の町嘱託職員に対し、5年間に44通の差別ハガキが送りつけられ、09年7月に犯人がついに逮捕される。その犯人は被害者自身だったというもの。怒るより悲しむしかないおぞましき事件。

佐藤優▼紳士協定――私のイギリス物語
「グレン、僕の言うことをよく聞いて。どうして、貧乏人だといけないのだろうか。僕はヨークシャープディングが貧乏人の食べ物とは思わない。
しかし、もし貧乏人の食べ物だとしても、それが何か悪いことなのだろうか」


外交官をめざす若き著者は、ロンドン郊外の小さな村のファーラ―氏宅にホームスティする。そこにグラマースクールに通っている12歳の少年グレンがいた。
「ビルドゥングスロマン(教養小説)のような雰囲気がある。小説ではない。あくまでも事実を再構成したノンフィクションだ」(あとがき)。たしかにこれは何ともすがすがしい少年の成長物語であり、青年の自己形成物語である。ホームスティ先の夫妻の信頼に応え、兄貴ぶりを発揮する佐藤青年のなんと爽やかなことか。
おびただしい佐藤優の著作の中で『紳士協定――私のイギリス物語』(2012)はベスト3に入る作品、とくに小中学生をもつ親におすすめ。





さて、3.11本に関しては、たとえば、松岡正剛『3・11を読む――千夜千冊番外録』(2012)が、震災、津波、原発の多数の読むべき本を案内してくれる。ついでに書けば、著者松岡正剛は被災地に行かなくてはこれ以上のことは読めない、書けないというせつない思いにとらわれる。4月27日にたまらず単身で被災地を訪れる。しかし「なんらの結像も得られぬままに茫然として帰って」くる“書斎の人”なのである。

森 健▼「つなみ」の子どもたち――作文に書かれなかった物語
そして、ちょう上まで走ってにげました。そしてにげると中につなみを見ました。家から家と火がわたってついに、海にまで火がついていました。
しばらくつなみを見ていてそして、だれかが、
「山に火がついている。」
と言いました。


森健『「つなみ」の子どもたち――作文に書かれなかった物語』(2011)は、著者の「何度も胸がしめつけられた」思いとやさしい視線が、岩手、宮城の子どもや親たちの共感を呼び、被災者は百人百様の人生をありのままに語る。そして読者にこんな家族がいる限りかならず東北は復興するという思いをもたせてくれる。
しかし、本書を含めてテレビも新聞も、なぜ同じ被災地、同じ被災者ばかりが登場するのか。まるで“うまい店ガイド”のように。

開沼博▼「フクシマ」論――原子力ムラはなぜ生まれたのか
福島において、3.11以後も、その根底にあるものは何も変わってはいない。
私たちはその現実を理解するための前提を身につけ、フクシマに向き合わなければならない。
さもなくば、希望に近づこうとすればするほど希望から遠ざかっていってしまう隘路に、今そうである以上に、ますます嵌りこむことになるだろう。


開沼博『「フクシマ」論』(2011)は、2011年1月に修士論文「戦後成長のエネルギー――原子力ムラの歴史社会学」として提出されたものに、2011年3月11日以降、最低限の加筆修正をほどこしたもの、という。すなわち学術書として書かれた。
たとえば、いまから40年前の1972年に結成された双葉地方原発反対同盟が作った「原発落首」が収録されている。
「住民締め出す公聴会 非民主、非自主、非公開
主の消えたる田や畑 減りたる出稼ぎ増えたる被曝
避難計画つくれども 行く意志のなき避難訓練 不安を増したる住民に 心配するなとは、恐ろしや」。
原発は、経済的貧困地帯につくられ、精神的貧困に住民を追い込む。

大鹿靖明▼メルトダウン──ドキュメント福島第一原発事故
菅は「これは大変なことだよ」と30回以上も繰り返すばかりで、直ちに緊急事態を宣言し、住民を避難させることに着手できなかった。〔…〕
菅の「どうなっているの?」「どうするの?」という問いに保安院の幹部たちは満足に答えられない。菅のご下問に対して互いに目配せして押し黙ったままだった。


大鹿靖明『メルトダウン──ドキュメント福島第一原発事故』(2012)は、本の帯に「次々に明らかになる衝撃の新事実! 読み始めたら止まらない調査報道ノンフィクションの傑作」とある。たしかに読み始めて、これは2012年ノンフィクション№1かもと思った。が、しかし数十ページ読み進めて、疑念がわいてきた。
菅直人首相のダメぶりの描写もあるのだが、本書は菅首相とその取り巻き連中、すなわち官邸の自己弁護の書ではないか。菅内閣“御用達”の原発事故てんまつ記という印象をどうしても拭いきれなかった。

鈴木智彦▼ヤクザと原発――福島第一潜入記
シェルターでの休憩中、作業員の一人がAPD(線量計)を置いていったのは、限度を超え現場に出られなくなるのが嫌だったからだ。
1度目の作業は彼もAPDを携帯していた。
まったく被曝していないと不正がばれるため、シェルターに戻り、その数値をみた後、休憩時間にAPDを自分の鞄に隠したのだ。


鈴木智彦『ヤクザと原発――福島第一潜入記』(2011)は、著者が一作業員として1F(福島第1原発)に入るのだが、一歩腰が引けているところが何ともリアルでいい。
腕時計カメラで隠し撮りをしていたら「馬鹿野郎。時間ばっか気にしやがって」とどなられたり、手帳に挟んでいたICレコーダーが見つかったり、「お前、マスコミなんじゃねえのか?みんな怪しいって言ってるぞ」と言われたり。ばれない方がおかしいという潜入取材である。本書を選んだのは、堀江邦夫『原発ジプシー増補改訂版――被曝下請け労働者の記録』(2011/初版1979)と読み比べる必要があるからだ。堀江本は、1978年9月から翌年4月まで美浜発電所、福島第一原子力発電所、敦賀発電所で孫請け会社の作業員として働いたルポである。30年前の記録である堀江本の労働実態と3.11以後同じ福島第一原発で働いた鈴木本に書かれた職場環境とは、ほとんど変わらない。そこに原発の恐ろしさがある。
「マスクを取ってしまえば、まず間違いなく放射性物質を吸いこんでしまう。内部被ばくだ。しかし、曇ったままのマスクをしていたら、足場板から足を踏みはずし、転落するかもしれない。被ばくか、転落事故か――どちらかの危険を選び取らなければならない。どちらにしても、「死の影」がまとわりついている」(『原発ジプシー』)。

重松清▼希望の地図――3.11から始まる物語
石巻は(気仙沼でも南三陸でも釜石でも宮古でも、もちろん福島でも飯館村でも双葉町でもいい)、2012年1月8日の今日も「被災」している。
明日も、このままだときっと「被災」しているだろう。あさっても、悔しいけれど、おそらく……。


重松清『希望の地図――3.11から始まる物語』(2012)は、学校図書館に置き、中学生たちがずっと読み継いでいく本である。
フリーライターと少年が、岩手、宮城、福島3県の被災地の“今”を訪ね、復興に取り組む人々にインタビューを重ねる、というのが本書の構成。架空の少年を登場させたことでノンフィクションとして失格かも知れないが、被災地の“今”は事実である。
著者の立場の甘さが随所にある。しかし、「少年や少女にとつては、自分がこれから生きていく日々は復興の時代に重なり合うことになる。何年たっても『被災の時代』のままかもしれない」。だから、被災地の“今”を知ってほしいと著者は書く。



このほか楽しませてもらったノンフィクション10点
◎2012年刊行
リービ英雄▼大陸へ――アメリカと中国の現在を日本語で書く

森達也▼オカルト――現れるモノ隠れるモノ見たいモノ

安田浩一▼ネットと愛国──在特会の「闇」を追いかけて

清武英利▼巨魁

篠田博之▼生涯編集者――月刊『創』奮戦記

◎2011年刊行
井上理津子▼さいごの色街飛田

野村進▼島国チャイニーズ

野依良治▼事実は真実の敵なり――私の履歴書

柳澤健▼1985年のクラッシュ・ギャルズ

内田洋子▼ジーノの家――イタリア10景



◎2011年おすすめ本=傑作ノンフィクション・ベスト10

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